今回はいつもと違って、鑑賞した映画について書いてみたいと思います。
そのタイトルは「ワンダー 君は太陽」です。
1万人に1人の新生児に発症するといわれる「トリーチャーコリンズ症候群」の少年を中心に描くヒューマンストーリーです。
母親役は日本でも有名なジュリア・ロバーツさんが演じています。
主人公はオーガスト・プルマン。通称オギーです。
生まれた時から頬や顎の骨が不形成で、27回もの手術を繰り返してきました。
変形した顔面を隠すため、外出するときはフルフェイスのヘルメットをかぶるという生活です。
全体的にオギーを中心に描かれているストーリーですが、物語の途中で姉のヴィア、オギーの親友ジャック、ヴィアの親友ミランダと順番に視点が切り替わるというオムニパス要素も盛り込まれています。
それぞれの人物の苦悩が映し出されているので、いろんな共感ポイントを感じることができると思います。
また、わたしの人生のヒントとなる名言もいくつかありました。
「ワンダー 君は太陽」の名言
まずは、オギーが初めて学校に登校するとき、母親の言葉を思い返しているシーンです。
ママの口癖は、「つらいときには楽しい空想をして 」 だ。
周りにいる生徒たちは初めて見るオギーにドン引きしています。
完全アウェーの中、オギーは母親の口癖どおりに、自分が宇宙飛行士の英雄になっている空想をします。
必死で口角を上げながら、校舎へとどんどん進んでいきます。
「幸せだから楽しい」というわけではなく、「楽しくしているから幸せがやってくる」という考え方は大切なんですよね。
正しい事と親切な事、選ぶなら親切な事を。
授業中、教師が黒板に書いていた名言です。
それを教師に指名されたクラスメイトのサマーが読み上げました。
民主主義のなかで生活をしていると、大多数の人がとる行動は正しいと思ってしまいがちですよね。
また、自分では「ちょっと違うんじゃないかな?」と思っても周りの人に合わせてしまうことも多かったりします。
ところが、サマーは周りの目を気にせず、孤立しているオギーと一緒に食事をしたり、遊んだりして積極的に接するようになっていきます。
サマーは授業のときの言葉のとおりに行動したら、どんどん楽しくて幸せな気分になっていったんじゃないでしょうか。
オギーはサマーが自分に接してくれて幸せだし、サマーは楽しそうなオギーを見て自分も楽しくなります。
幸せってそういうふうに膨らんでいくんでしょうね。
偉大さは強さの中にあるものではない。強さを正しく使うことのなかにある。
最も偉大である人物とは、自分自身の魅力で多くの人の心を動かす力を持っている。
これは、ヘンリー・ビーチャーという人物の名言で、トゥシュマン校長が修了式で紹介した名言です。
そして、「正しい事と親切な事、選ぶなら親切な事を。」にもつながるんじゃないでしょうか。
人に親切にする人というのは、多くの人の心を動かすでしょう。
親切な行動を自然に振舞える人って当然ですが、魅力のある人ですよね。
そんな人がそばにいてくれるだけで安らぎを感じられるはずです。
本当の強さって、そういうことなんじゃないでしょうか。
ここからは劇中、個人的に気に入った名言を紹介していきます。
なぜかみんな僕のことをフルネームで呼ぶんだ。
オギーとジャックが初めて会ったとき、名前は「ジャック 」 なのか「ジャックウィル」なのかとオギーが質問しました。
そのときにジャックが答えた言葉です。
名言と呼べるのかといわれるとアレですが・・・。
じつはわたしも時々、ある友達をフルネームで呼びます。
久しぶりにあった時とか、フルネームで声をかけちゃうんです。
語呂がいいんでしょうね。フルネームで呼ぶだけで笑いをとれますし。
これと同じで、単に「ジャック」と呼ぶより、「ジャック・ウィル」って呼んだほうがかっこいいし、言ってる人もなんか気持ちがいいんじゃないでしょうか。
フルネームが愛称になっているんですね。
初日って最悪だなっ
後にヴィアの恋人になるジャスティンの言葉・・・、いえ、名言です。
ハイスクールの初登校日、ヴィアとジャスティンが初めて会った時のシーンです。
親友のミランダが自分を避けていることに気づいて落ち込んでいるヴィアにジャスティンが声をかけます。
最初はジャスティンに対して皮肉を返すヴィアですが、そんな意地悪な自分に気づいて名前だけ告げて立ち去ろうとします。
すでに背中を向けて歩き始めているヴィアに「初日って最悪だなっ」とジャスティンが無理矢理に話を振ります。
そこからまた少しだけ雑談が始まります。
涙をにじませていたヴィアを少しでも楽しませてあげたい、でも初対面でズカズカと相手の心に入るのは失礼かも・・・というジャスティンの精一杯のやさしさが見てとれます。
ジャスティン紳士だわ~。いいやつだわ~。
そっか、それじゃあ、僕が応援する。
ヴィアとジャスティンが所属した演劇クラスの劇 「わが町」の上演に家族を呼べばいいとジャスティンがヴィアに提案します。
見に来る家族はいないと答えるヴィアに「それはない。ひとりぐらい見たがる家族はいるだろう?」とジャスティン。
するとヴィアは「おばあちゃんかな・・・」と、どこか寂し気に答えます。
父親、母親を含めてヴィアの周りの人たちは不憫なオギーにばかり気をかけていました。
唯一ヴィアを「一番の宝物」と言ってくれたおばあちゃんは、実はすでに亡くなっています。
そのことを聞かされたジャスティンが発した名言が「そっか、それじゃあ、僕が応援する」です。
ジャスティンいいやつだわ~。
人に親切にする、心を軽くしてくれるジャスティンは魅力があり、本当に強い人間だと思いました。
映画の世界と現実の世界
なんとなく後半は主役そっちのけで、ジャスティンびいきになってしまったけど、まあ良しとしよう。
トリーチャーコリンズ症候群というハンデを抱えながらも、オギーは人に幻滅することなく向かい合いました。
真に強い人物です。
映画全体を通して、涙を誘うシーンがいくつもあり、とてもキレイな映画だという感想を持ちました。
わたしはこの映画を見る前まで「トリーチャーコリンズ症候群」については全く知りませんでした。
オギー役をつとめたジェイコブ・トレンブレイさんは、トリーチャーコリンズ症候群というわけではなく、特殊メイクです。
めっちゃ肌がキレイでイケメンです。
映画を見終わった後、トリーチャーコリンズ症候群について調べてみましたが、現実は映画とは違うと感じました。
特殊メイクではなく、トリーチャーコリンズ症候群の人を実際に前にしたとき、平静に対応できるかと言われると、正直言ってわたしは自信がありません。
よく分からない、見慣れていないということに関して、人は恐怖を感じるからです。
わたしは人並み以上にビビリなもので・・・。
でも、名言にあったとおり、そういった状況でも自然に振舞える人が本当に強い人だと思います。
わたしもそんな人間を目指したいです。
名言通りの理想の人間になれるヒントが映画の最後で掴めるかもしれませんよ。