先日、伯父が亡くなったのでお葬式に行きました。
会場には親戚一同が集まっていました。
小学校の時によく一緒に遊んだ人たちもいたので、なつかしかったです。
小学校以来、ほとんど会っていないので顔を見ても一瞬考えないと誰なのかわからないんですよね。
でも少しは面影があるので、すぐに「あ!○○ちゃん?お久しぶりです」となっていろいろ話が始まります。
そのときに、わたしに向かって「芸能人の○○さんに似てるよね」と言ってきた人がいました。
申し訳ありませんが、その芸能人というのはちょっと微妙な感じがする人です。
似てるって言われてあまりいい気がしないことってありますよね。
そんな感じです。
「ああ、マウンティングか・・・」と思いました。
相手の評価を下げて、自分が優位であると示すときの行動です。
以前のわたしならムッとして無言になり、その場の空気を凍りつかせていたと思うんですが、このときは笑ってサラッと流すことができました。
そうできたのは以前、自分のプライドについて深く考えたことがあったからです。
わたしは中身が空っぽの割にプライドだけは高い人間でした。
でも、そんな状態で生きてきた結果、幸福感は少なかったと感じています。
今では、プライドは生きていく上で邪魔な存在とすら思っています。
できることならそんな自分を治したい。
そんなプライドが高い自分の治し方ってあるんでしょうかね。
プライドが高くなってしまう理由
プライドが高くなってしまう理由って何なんでしょうか。
自信が無い
プライドが高くなる理由の1つは自分に自信がないからです。
ちっぽけな自分をできるだけ大きく見せたいんですね。
自分には誇れるものが何もないので、虚勢を張らないと存在を保つことができません。
自分より優秀な人には恐怖を感じますが、そうでない人に対しては見下します。
逆に自分に揺るぎない自信のある人は虚勢を張る必要がありません。
たとえば、幼稚園児にバカにされてもそれほど怒りはしませんよね。
全ての能力において自分が勝っていることがわかりきっているからです。
プライドが高いのは自信のない証拠というわけです。
努力もなく成績がよかった時期がある
特に努力していなかったり、運だけで良い結果がでることがあります。
こうした過去の栄光があると、「自分は特別な人間なんだ 」 と勘違いしてしまいます。
特に幼少期の頃にこれがあると、大人になっても引きずってしまう傾向があるそうです。
わたしも、小学生ごろまでは特に何の努力もしていないのに周りに比べてスポーツも勉強もできていました。
自分は何に対しても人並み以上にこなす才能があると勘違いしていました。
無意識のうちに自分より下だと思っている人を見下していたように思います。
これはその後のわたしの人生に暗い影をおとすことになりました。
中学に入ってからは、今まで下だと思っていた人たちにどんどん抜かされていきました。
それまでロクに努力してこなかったので努力の仕方もわかりません。
そういう状況になると常に劣等感を抱えながらの人生が続いていってしまいます。
怠け癖
自分は周りより劣っているということがわかっていても、怠け癖が災いし、一向に状況は好転しません。
「この今の状況は自分が悪いんじゃない、政治が悪いんだ、景気が悪いせいだ 」 などと他責にしてしまいます。
わたしは自分の問題点を省みることなく、本気でそう思っている時期もありました。
他責にし続けている限り、幸福感を得ることはないでしょう。
努力しないで怠けてばかり。
そして、人をマイナス評価することで自分が優位にたっているんだと錯覚してしまいます。
プライドなんかではなく、ただ単に怠けているだけだと気づきもしません。
プライドが高いことで起こる弊害
プライドが高いと、いろいろと弊害がおこり、なにかと厄介です。
孤立
実力がなくてプライドの高い人は周りをマイナス評価します。
そうなると、マイナス評価された人はその場から去っていくでしょう。
そういう人たちがどんどん増えていき、「もうあいつには関わりあいたくないな」と思われるようになります。
そしていずれ孤立します。
人間社会で生きている以上、人は一人では生きていけません。
プライドの高さが自滅へと導きます。
敵が増える
孤立するのは好ましくありませんが、去っていった人たちが敵にまわると、かなり面倒なことになります。
敵は自分の足を引っぱる存在です。
なので、敵を作らないに越したことはありません。
自分のプライドを維持するために敵を作るのは割に合わないことなんですよね。
新しいことに挑戦できない
自分が非力であることを認められず、才能があると思い込みたい気持ちはわかります。
でも、現実から目を背けているだけでは状況は一向に変わりません。
時間が経てば経つほど、その頑固さは強くなっていきます。
本来ならば新しいことに挑戦するべきなのに、失敗を恐れるあまり挑戦できなくなってしまいます。
挑戦は自分を高めるためには必要なものです。
それをしないうちは、プライドだけがどんどん大きくなっていってしまいます。
恥ずかしくても惨めでも、ひたすら挑戦することはとても大切です。
プライドが高いことの治し方
プライドが高いと、いろいろ弊害があるということはわかりましたが、実際にそれを治すためにはどういう行動をしていけばいいんでしょうか。
自分よりも優れている人たちと付き合う
「類は友を呼ぶ」、「同じ穴の狢(むじな)」などのことわざのとおり、人は自分に近いレベルの人と付き合うことが多くなります。
そうではなく、意識的に自分よりも優秀と思える人たちと付き合うようにしていきます。
そうすれば、プライドは高くならず、ずっと謙虚な姿勢でいられます。
そしてなにより、自然にその優れた人たちと同じ思考パターンになっていきます。
自分よりも経験豊富な年上の人と付き合うようにすると人生を幸せにするヒントが見つかることも多くなるはずですよね。
感謝の心をもつ
人から指摘されたり、嫌味を言われると腹が立ちますよね。
ところが、腹を立てているだけでは何も得はないし、精神的にもよくありません。
腹をたてるのではなく、感謝の気持ちに変換するといいでしょう。
「自分は今、嫌味を言われた。嫌な気分になっている。じゃあ反面教師にして自分は他人にこんな事をしてはいけない。それを気づかせてくれてありがとう。」
こんな感じです。
こうやって何事に対しても感謝の気持ちに変換していくんですね。
「何事に対しても感謝をもつ」という考え方は成功者が口を揃えていう考え方です。
これが自然にできるようになれば、プライドを意識することもなくなっていくでしょう。
実践してみる価値は十分にあるんじゃないでしょうか。
ライバルは自分と考える
常に他人と比較する考え方になっていると、プライドは高くなりがちです。
他人と比較するのではなく、自分自身がライバルという考え方が大切です。
うさぎとかめの童話で、うさぎは途中で油断してかめに敗北しましたが、この童話の教訓は「油断大敵」ということではありません。
じつは、かめはうさぎに勝とうとしていたのではなく、自分自身に勝とうとしていたんです。
最も手強いライバルは自分自身。
かめは自分自身と戦い続けながらゴールを目指しました。
そこにはうさぎが先にゴールしようが、後にゴールしようがさほど問題ではなかったんですよね。
この童話の教訓は、「常に自分自身と勝負することが大切」ということです。
そうすれば、自分は成長しつづけられるし、勝手に自信もついてきます。
それはもう、プライドが高いとか低いとかどうでもいい次元なんですよね。