無口な人って秘めたものを持っていそうで、なんとなく頭が良さそうなイメージってありませんか?
わたしは元々、恥ずかしがり屋なので人とのコミュニケーションが苦手です。
だから、自然と口数が少なくなります。
そのせいか、パッと見はかしこそうに見えるみたいです。
実際は頭が悪いのに。
ドラゴンボールにでてくるキャラのミスターサタン状態ですよ。
強そうに見えてじつは弱い。
ハリボテの見せかけなので、常に真実がバレることにビクビクします。
逆のキャラを挙げるとしたら、亀仙人ですね。
一見弱そうなおじいちゃんですが、武術の達人でメチャクチャ強いです。
おじいちゃんでもかめはめ波を打つ姿はかっこいいですよね。
どうせなら、亀仙人のようでありたいです。
でも現実はミスターサタン。
かしこそうに見えてじつは頭が悪い状態です。
このままではいけないと思って本を買って読んでみたりと努力してみますが、頭が良くなる気配はありません。
本を読んでも、イマイチ理解できないことが多く挫折してしまっていました。
これってもはや病気なんじゃないかと思ったこともありました。
頭が悪いと気づいてからはずっとビクビクオドオド
そんなわたしですが、小学生のころは大した努力もしてないのに全体的に成績は良かったです。
正直、世の中って結構チョロいんだなと思っていました (^_^;)
でも、中学2年ごろから気づき始めます。
「あれ?自分ってひょっとして頭が悪い?」
これ以降、高校、専門学校に進んでも成績はずっと悪かったです。
授業を受けたり、教科書を見ても最終的に理解できなくて挫折してしまっていました。
特に不自由なく日常の生活はおくれているので、頭が悪いという理由で病院にいくわけにもいきません。
頭が良くなるという高額教材を買ったこともありますが、結局すぐに挫折です。
社会人になると学生のようにテストがあるわけではないので、頭がいい悪いというよりは仕事ができるできないが重要になってきます。
でも、中学生以降数十年経ち、つい最近までわたしはずっと「頭が悪い」ことを知られるのが怖かったのか、基本的にビクビクオドオドしてました。
克服するための2つのポイント
頭が悪いことを知られるのが怖い。
よくよく考えてみるとこれは、頭が悪いけど頭がいいように見られたいという願望があったからです。
この矛盾は負のスパイラルに陥るパターンなんだと気づきました。
現実と心の向きが完全に違っているわけですからね。
逆に言うと、矛盾をなくしてあげればいいんじゃないか?
つまり、頭が悪いことを素直に受け入れるということです。
「わたしは頭が悪い。なにか問題でも?」という感じです。
でも、この考えを持つだけでは当然頭が良くなることはありません。
頭が良くなるために行動する必要があります。
わたしは元々意思が弱い人間なので、体育会系のノリで気合で克服することはできません。
どうすればいいかと考えていたところ、自分が頭が悪いんじゃないかと気づき始めたころのことを思い出してみました。
頭が悪いと気づいたのは中学2年のころです。
それまではむしろ成績がよく、生活にも充実感がありました。
この「頭が悪い」と気づき始めた後に、やらなくなっていたことがありました。
それは、運動です。
小学生から中学1年まで、わたしは友達とボール遊びをしたりして走り回っていました。
走り回ることが大好きでした。
中学2年ごろになると色気づきだす時期なので運動することがむしろ恥ずかしく思うようになったんです。
「運動」と「生活の充実感」は密接に関係しているんじゃないかと想像しました。
実際、科学的にも根拠があるようです。
このブログでも何度も紹介していますが、わたしはウォーキングを習慣にしています。
ウォーキングを始めてからはやっぱりなんとなくですが、充実感のようなものがありますね。
困難の連続ですが、前向きに考えることができている実感があります。
このまま続けていけば、頭の悪いわたしでも、頭が良くなる可能性はかなり高いんじゃないかと思っています。
まとめ
- 現実と心の矛盾を無くす
- カラダを動かすことを習慣化する