子どものころはそんなことはなかったんですが、大人になるにつれて人間関係に苦労するようになりました。
忘年会とか、たくさんの人が集まる場はめちゃくちゃ憂鬱でしたね。
直前になるといつもお腹が痛くなります。
それでも、「欠席は許されない」的な空気が流れているのでがんばって出席していました。
そして、「楽しくやろうよ」的な空気も流れているのでさらに追い込まれている気持ちになります。
嫌だと思っていることにどうして楽しくやらないといけないのかいう本音がありつつも、社会というのはそう振る舞わないといけないんだという思い込みもありました。
こういう状態が続くと、どんどん人間嫌いになっていきます。
人間社会で生活しているのに人間嫌いと言うのはかなりきつい状態です。
人間嫌いを治したいと思っても、嫌いなものは嫌い。解決策が見つかりません。
なぜ、人間嫌いになってしまったのか、そもそもその原因って何なんでしょうかね。
人間嫌いの原因は?
わたしがなぜ人間嫌いだったかというと、主な理由は以下の3つです。
理想と現実のギャップ
人には誰でも少なからず「特別な存在になりたい」という心理があるそうです。
特別な存在というのはどういうものかというと、1つは人よりも何かしらの能力優れているということが挙げられます。
頭の回転が早い、魅力的な容姿、人を惹きつける力などいろいろあります。
でも、わたしはどれも持ち合わせていませんでした。
当然、そんなわたしを特別な存在と認めてくれる人はいません。
にもかかわらず、人から良く見られたいという願望があったわけです。
何も努力することなく、ただただ理想と現実のギャップにストレスを感じ続けていました。
過去のトラウマ
過去に恥ずかしい体験や辛い体験をしたら、それがトラウマになって人と接するのが怖くなることもあります。
その「怖い」を隠すために「近づくな」オーラを出してしまうことも。
わたしは人生を変えたいと思い始めてから自分だけの時間を多く確保するようにしました。
一人でいると、なぜか過去のトラウマ的な体験がいっぱいフラッシュバックしてくるんですよね。
あのときなぜもっとうまくやれなかったんだろうという思いが押し寄せてきます。
過去にとらわれているとこの先なかなか進めなくなるんですよね。
他人への偏見
人は見た目の8割で相手の印象を決定づけてしまいます。
第1印象が悪い人には近づきたくないし、逆に自分の第1印象が悪ければ誰も近寄ってきません。
自分がした評価と相手から受けた評価って不思議と同じことが多いんですよね。
見た目だけで偏見を持つことが多いわたしは人間嫌いが加速していきました。
人間嫌い脱出のポイントは?
わたしは今でも人とのコミュニケーションはあまり得意ではありません。
でも、以前に比べるとだいぶマシにはなってきました。
精神的にも楽になっています。
それは、つぎのようなことを意識するようになったからです。
八方美人にならない
かなり無くなってはきましたが、「特別な存在になりたい」という願望は今でもあります。
ただ、八方美人になって全ての人にそう思われたいということは無くなりました。
本当に大切な人たちと過ごす時間を大切にしようと思っています。
飲み会などの単なる付き合いの誘いは断るようにしています。
以前は「嫌われるかもしれない」という恐れから参加することが多かったですが、あまり意味のないことに時間をかけるよりも自分自身や本当に大切な人たちと過ごす時間を優先しています。
未来の楽しい想像をする
過去の失敗を変えることはできません。
絶対できないことに目を向けるより、これから創っていく未来に目を向けることが大切です。
今でもしょっちゅう過去の失敗がフラッシュバックしてきますが、そういうときは未来の楽しいことを考えるようにしています。
わたしの場合は、「大きい家に住んで部屋はこんな感じでー」という感じです。
こういう癖が付くとトラウマのループにハマらないようにしています。
「ありがとう 」 を言う
他人への偏見はどうしてもありますよね。
何度か会話をかわしても、「あ、この人やっぱり無理だわ」と思うこともありますよね
それでも、さりげない「ありがとうございます」という言葉は結構効果があるように実感しています。
これは、相手が大切な人の場合も同じです。
少し照れ臭いこともありますが、この言葉を添えると添えないのとでは雲泥の差があります。
お金がかかるわけでもありませんので、言ったほうが得とすら思っています。
人間嫌いは珍しいことではありません。
でも、少しだけ自分の行動を見直してみるだけで人生が大きく好転していくんじゃないでしょうか。
最後までブログを読んでいただき、ありがとうございます。